国立公園の山中に佇む秘境宿 霧積温泉 金湯館
群馬県の高崎から信越本線に乗り継ぎ、終点の横川駅からさらに山へ分け入ったその先―
上信越公園の真っ只中の山中にある霧積温泉は、かつては多くの温泉旅館や別荘が立ち並ぶ、一大避暑地として栄えた温泉郷であった。
明治43年に発生した山津波によってその多くは失われてしまったが、今回滞在した金湯館は奇跡的にその難を逃れたため、霧積に残る唯一の温泉宿として静かにその歴史を紡いでいる。
横川駅の改札を抜けると、こじんまりとした駅舎の前に送迎と思しき自家用車が数台並んでいるのが見えた。
そのまま少し待っていると、ほどなくして金湯館の送迎車も到着。
自分を合わせた都合5名程の今宵の宿泊客たちが、代わる代わる車へと乗り込んでいった。
そこから宿までの道中は想像以上に険しく、まさに里から山の奥へ分け入っていく時のような、そんな雰囲気がひしひしと感じられるほどであった。
途中には離合も難しいような道幅の狭い箇所も多く、また特に冬は雪も積もっているので、よほど慣れているのでなければ送迎を依頼するのが無難だろう。
なお金湯館の2kmほど手前には専用の駐車場があり、そこから先は国立公園になるため一般車両での通行はできなくなっている。よってマイカーで訪れる場合はここに車を停めて、自力で宿まで歩くか送迎を頼んでおく必要がある。
駐車場を過ぎるといよいよガードレールも無くなって、道は一段と細く、険しいものへその姿を変えていく。
そしてその山道をさらに登っていくと、谷底に広がるように建っている、薄っすらと雪化粧をした金湯館の建物が見えてくる。ようやくたどり着いたようだ。
HPの写真等から山間にある小さな一軒宿を(勝手に)イメージしていたので、宿の建屋がもつその意外なほどの大きさには驚きを隠せなかった。
送迎車を降りてから、谷底の宿までは階段を使って降りていく。
手すりは備え付けてあるがやや急な段差なので、なるべく軽装で向かいたい。
宿の正面側にびっしり立ち並ぶ巨大な氷柱。その脇には自家発電用の水車も。
この時はまだ12月の半ば過ぎだったが、厳しい冬の訪れを感じさせられる景色だった。
川に掛かる立派な朱塗りの橋を渡れば、そこは現代と隔絶されたような秘境の一軒宿。
かねてから行きたいと思っていた宿だっただけに、この時点で感激もひとしおだった。
引き戸を開けて中に入ると、すぐ前にロビーと帳場が広がっている。
山小屋のような、どこかぬくもりが感じられる温かい雰囲気であった。
左手奥にある帳場でチェックインの手続きを済ませる。
こういう雑然とモノが置いてある様子は実家のような感じがしてなぜか落ち着く。
また金湯館を語る上で外せないのが、なんといっても小説家・森村誠一氏との関わりである。
森村氏は学生時代に金湯館に宿泊した際、昼食用に宿からお弁当を包んでもらった。
そしてハイキングをしている時にその包み紙にあった西條八十『帽子』の詩が目に留まり、そこから着想を得て、後の代表作のひとつ・人間の証明の執筆へと繋がっていったのだとか。
ー母さん、僕のあの帽子 どうしたでせうね?
えゝ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落したあの麦藁帽子ですよ。
上記の一節は『帽子』の冒頭からの引用だが、作品中でもきわめて印象的な場面で繰り返し登場するので、自分もこのフレーズは口ずさめる程にはっきりと覚えていた。
さらにロビー周りを眺めてみる。
明治の頃より栄えていた金湯館には、伊藤博文や勝海舟、岡倉天心などといった著名な政治、文化人が数多く訪ねている。
伊達ではない歴史を感じさせてくれる展示品の数々。
ロビーをひとしきり散策したあとは、母屋の2階にある本館へ。
今回泊まったのは本館の一番奥にある1号室。角部屋だったのでうれしい。
部屋は十分な広さで、入った瞬間に落ち着く間取りだな、と感じた。
華美なモノが無くても、コタツ、フトン、ストーブの3つがあればそれで十分なのである。
また後で知ったのだが、こちらのお部屋はかつて伊藤博文ら一行が滞在し、明治憲法を起草した場所でもあるのだとか。
天井に走る太い梁もその当時のもので、明治16年に山から切り出された欅がいまも立派にその姿を留めている。
自室の割り当てが1号室だったのは偶然だが、金湯館の深い歴史が刻まれた部屋に泊まれたのは幸運だった。
夕食までは少し時間があったので、部屋でゆっくりした後は温泉へ。
館内は昼間でもこの気温である。さむい。部屋の中はファンヒーターがあるが、移動時は上着が必須だった。
帳場の隣にある引き戸を開けて、階段を降りていく。
壁に掛かっていた金湯館の歴史年表。
電気が開通したのは1980年代、昭和のそれも後期になってからというので驚きである。
それまでは、宿の明かりはすべてランプと自家発電によって賄われていたのだとか。
廊下を突き当りまで進むと、そこが浴室の入口である。
脱衣所に泉質表があったので、こちらも貼っておく。
温度は38.9℃で、泉質はカルシウムー硫酸塩泉(低張性弱アルカリ性)。
タイル貼りの浴室に入ると、すぐにふんわりとした心地よいタマゴ臭が香ってくる。
やはりこの香りを嗅ぐと、温泉に来た感じがして気分が盛り上がる。
適温のお湯はトロトロとしていて、アルカリ性特有のやさしい浴感。
またしばらく入っていると、小さな気泡が体に付着する様子も確認できた(ぬる湯といっても40度弱あるので、そこまで強い泡付きは見られないが)。
そして何をおいても圧倒的なのが、その湯量である。
ザバザバと注がれるお湯は浴槽から常にオーバーフローしていて、その勢いから洗面器が勝手に流れて行ってしまうほど。
絶え間なく供給されつ続けるお湯はまさに新鮮そのものといった感じで、その絶妙な温度も相まって自然と長湯になってしまう。
夕食があるのでひとまず上がったが、これはまた何度か来ることになりそうだ。
***
部屋に戻って、18時スタートの夕食を待つ。食堂は無く、すべて部屋出しである。
別注した瓶ビールを飲みながら待っていると、すぐに噂通り山盛りの食事が到着した。
大量の山菜の天ぷらに、上州名物のこんにゃくの刺身、それから野菜の煮物などの小鉢類も。
これだけでも十分な位だが、そこからさらに鍋のような大きさのお椀につがれた豚汁も到着。
なかなかに壮観な景色だが(笑)さっそく食べていく。
まずは天ぷらから。
霧積の山で採れた新鮮な山菜たちが惜しみなく使用されている。
正直名前が分からないものも多かったが、どれも美味しかった。
魚の焼き物は、定番の鮎の塩焼き。温かいまま出てきたので嬉しかった。
なみなみとつがれた豚汁。本当に具だくさんで、寒い夜に沁みる温かさだった。
地のものを多用したお料理はいずれも優しい味わいで、それらを部屋でゆっくりと頂けるのはとても贅沢な時間であった。
後半は豚汁が効いてきて結構苦しかったが(笑)酒を控えめにすることでなんとか完食することができた。
その後は本を読んだり、また風呂に入りに行ったりして、なんということもなく時間を過ごした。
こういう時は何故だが時が経つのも早くて、気づけばすっかり真夜中になっている。
湯たんぽを足先に携えつつ、そろそろ床につくことにした。
周りには何も無いので基本的に夜は静かなのだが、天井裏をドタドタと駆けまわるテンの足音によって、時々その静寂が破られることもあった。
音からして結構な大きさだと思うのだが、ちょっとした猫ぐらいのサイズだろうか?
その姿を見たことがないのでいまいち想像もつかないのだが。
まあこれも山の宿に来た醍醐味かな、とうつらうつら考えている内にいつの間にか寝てしまっていたが。
***
朝起きて障子を開けると、外は相変わらずの雪景色。
昨日は気づかなかったが、ちょうど廊下から見下ろしたところに西條八十の詩が紹介された掲示板もあった。
朝食。こちらも夕食同様に部屋出しである。
朝が部屋出しだと、起きてすぐの移動が無いので実にありがたい。
コタツに入ってテレビを見ながら、素朴かつ正しい朝ごはんを頂く。
なお、写真の通り朝は普通の量なので安心である(笑)
朝食を頂いた後はチェックアウトまで少し時間もあるので、腹ごなしも兼ねて宿の周りを少しだけ歩いてみた。
凛とした冬の空気が心地よい。
ほんとうに、何度見ても凄い場所に建っている...
昨日見た氷柱も、列をなして変わらずその姿を保ったままだ。
おそらくこの時期はよほど気温が上がらない限りは、日が差しても溶けずに残ったままなのだろう。
歩いていたら少し冷えてしまったので、最後にもう一度お風呂へ行って温まることに。
チェックアウトのギリギリまで入れるのはありがたい。
飲泉してみると、想像通りエグみが無く飲みやすい味。
そのうちに朝日が差しこんできて、お湯で満たされた浴室の床がキラキラと輝き始めた。
ぬる湯にとろけそうになりながら、遠くに流れていく洗面器をただただ見つめて過ごす時間。
朝でも夜でも、いつ入っても幸せになれる温泉だ。
ずっと入っていたいのは山々だが、ぼちぼち送迎の時間も近づいてきている。
名残惜しいがそろそろ切り上げて、部屋で荷物をまとめなければ。
悲しいかな、自分は下界へと戻らなければならないのだから。。。
必ず再訪してまたこのぬる湯に入ろう、送迎車の中でもそう心に誓いながら、山道を揺られて帰途についたのだった。
***
旅には常に一期一会という気持ちで行ってはいるものの、やっぱり帰るときにはまた次も来たいし、無くなって欲しくないと思ってしまうものである。
そして、それが今回のように鄙びていて素晴らしい宿であれば、その気持ちは一層強くなる。
シャワーも無ければ、Wi-fiもない。やることといえば、本を読むか温泉に入ることくらい。
不便なのは否めない。
だが、ここにはそれを補って余りある魅力が満ちているように思うのである。
仕事で疲れた時に一人で立ち寄ってみるのもいい。あるいは、友人家族と旅行で来てみてもきっと楽しいだろう。
いつ訪れても金湯館は四季それぞれの魅力をもって、あなたを温かく迎えてくれるはずである。
それでは。