さごんの湯から戻った頃には雲は厚みを増しており、徐々に雨が近づいてくる気配が感じられた。天気予報を確認すると、お昼ごろから土砂降りになりそうな感じだ。
今日は熊野古道と那智山を歩くつもりなのだが、大丈夫だろうか…
一抹の不安を覚えつつも、とりあえずブルーハーバーをチェックアウトして那智勝浦駅へ。
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那智山方面へは駅前からバスが1時間に1~2本はあるので、時刻表をチェックしておけばクルマなしでも見所を回って帰ってくることは可能である。
しかしながら今回は足の悪い母も一緒なので、バスを軸に坂と階段が続く那智山エリアを見て回るのは少々難儀するように思われた。
そこで今回利用したのが、たまたま道中で見つけた駅から観タクんというサービスである。
こちらはJRが全国各地の主要駅で提供している、旅行者向けの定額タクシーサービス。
コースを選んで、事前に購入したチケットを対象駅のタクシー乗り場で提示するだけで、予約無しで利用することができる。
出発駅やコースは限定されているものの非常にお得な料金でタクシー1台を貸切利用できるので、条件が合えば中々に利用価値は高いと思う。
なお通常の観光タクシーとの違いは、あくまで交通手段の提供のみであり、観光案内は付随しないという部分である。
つまり見所に到着したら降りて自由に観光をして、終わったらまた車に戻ってくるという感じだ。ただ行程中の時間配分は細かく決められているわけではないので、ドライバーにもよるだろうが、比較的柔軟に観光地を回れるのが魅力。
紀伊勝浦駅にはみどりの窓口が無いので、券売機でチケットを購入することになる。
それを駅前のタクシー乗り場でドライバーの方に提示するだけでOKだ。今回我々にはとても感じのいい女性ドライバーさんが担当してくれた。
行程や所要時間のおおまかな打ち合わせを行った後、まずは熊野古道歩きの核心部となる大門坂を目指してタクシーは出発した。
熊野古道・大門坂に残る美しい石畳
そもそも熊野古道とは、紀伊半島の要所から熊野三山へ至る参詣道の総称である。
その中には奈良の吉野や高野山へと延びているような様々なルートがあるが、今回歩くのはその中でも最も賑わったといわれる、中辺路(なかへち)に相当する区間の一部だ。
田辺から熊野三山を結ぶこのルートはかつて大部分が険しい山道であり、道中には難所が続く困難な路であったそうだ。
現在それらは整備されて通過しやすくなったが、今回歩く大門坂から那智山までの区間には、往時の面影を色濃く残す石畳の道が今も残っているのである。
ただ母の足では石畳の坂道を越えるのは難しそうだったので、相談の上今回はやむなく自分だけで歩くことに。その間母にはタクシーで車窓観光をしてもらって、古道の先の駐車所で合流をするという流れになった。
勝浦駅を発ってからは短時間だがゲリラ豪雨並の本降りが来てやや心配にもなったが、車が大門坂入口に着いた頃には丁度雨も上がってくれた。
鳥居と橋を越えたところから、石畳の道が始まる。
古道の入口でそびえ立っているのは、一対の夫婦杉。
樹齢800年を超えるその太い幹のたもとでは、苔がみずみずしく繁茂していた。
序盤は傾斜も緩く、一段の高さも大したことが無いのでハイキング感覚で気軽に進める。
足元に広がる石段が美しい。雨に濡れて、つやつやと輝きを放っている。
古道の中盤辺りからは少し段差が急になってきて、周りの木々や緑もその濃さを増してきた。
そしてこの辺りからである。なんとなく、周囲の空気が変わってきたように感じられたのだ。
初めは気のせいかとも思ったのだが、歩いていくうちにその感覚は現実のものへと変わっていった。
辺りに少しづつ白いもやが広がってきたかと思うと、それらはどんどんと、古道を包み込むように広がっていったのである。
気づけば辺り一帯はすっかり霧の中に隠されてしまった。
石段の先はもやに包まれて、ぼんやりとしか見通すことができない。
雨に濡れて、杉木立の間に浮かび上がってくる苔むした石畳の古道。
そこに見えたのは、古来より人々の畏敬を集めてきた霊場の姿そのものであった。
一帯を包むしっとりとした空気の重みを全身に感じながら、少しづつ歩みを進めていく。
参詣者の居ない古道は静寂そのものである。
自分の足音の他には雨のしずくや、鳥や虫などの自然の声が聞こえてくるばかりだった。
古道の後半では道の傾斜が増し石段も不揃いになってきて、いよいよ歩きづらい。
思わず息が切れるが、この景色の中を歩いている時は感動が勝ってしまって大して気にならなかったのも事実である。
石段を登り切ったところは駐車場になっていて、そこで親の乗っているタクシーと合流。
車に乗った後も、頭は暫くのあいだ霧に包まれての古道歩きの余韻に浸っていた。
それにしても、まさかここまで素晴らしいタイミングで訪れることができるとは。
こんな景色はいつ来ても見れるものでは無いだろうから、まさに望外の喜びである。
願わくば母も一緒に歩ければよかったのだが、やはりあの濡れた石畳を歩くのは危険だっただろう。見せてやれずに残念な気持ちもあったが、これでよかったのだと思う。
那智山青岸渡寺~熊野那智大社
参道を脇目に見つつ、連続するカーブを登り切ったところで目的の駐車場に到着。
ここからは徒歩で回っていく。
こちらが麓から続く参道の終点であり、寺社の境内へと続いている二の鳥居。もう少し下には一の鳥居もある。
本来はここから華厳の滝や三重塔が見えるはずだが、、、
雨の影響か、視界はもやのような雲にすっぽりと覆われてしまい、その影を窺うのがやっとの状態。
ただ個人的にはなんというか厳かな雰囲気が一段と感じられる気がして、なかなか悪くないと思った。
入口にある自然の色どりを活かした手水舎が印象的だった。
天然木を使用した、素木(しらき)造りの本堂。
熊野に漂着したインドの僧により5世紀ごろ開山された天台宗の古刹で、現在の建物は豊臣秀吉の手で再建されたものだという。
もともとは隣接した熊野那智大社と一体であったが、明治の廃仏毀釈の流れによって分離され、独立した寺院となったという歴史がある。写真は無いが、薄暗い本堂の内部では如意輪観音像が静かに佇んでいた。
こちらが熊野那智大社の入口となる門。
いよいよこの旅における熊野三山巡りの中でも、最後の一角となる。
境内は他の熊野三山の神社に比べるとややコンパクトな印象。
主祭神は日本創生神話にも登場する伊弉冉尊(イザナミノミコト)である。
その歴史は青岸渡寺よりもさらに古く、社殿の創建は古墳時代にまで遡るという。
お清め用の護摩木を焚いてから、朱塗りの礼殿へ参拝をした。
それにしても濡れた社殿や、背後に見える緑のまた美しいこと。
雨というのは、神社仏閣の良さを一層引き立たせてくれるように思う。
礼殿に向かって左側は、八咫烏を奉る御縣彦社(みあがたひこしゃ)となっている。
日本神話によると、八咫烏はかつて那智の浜辺へ上陸した神武天皇一行を那智の滝へと道案内し、その後自身の姿を石に変えたのだとか。本殿の近くには、その烏石が現在も大切に安置されている。
さて、この熊野那智大社へのお参りをもって、”熊野三山すべてに参拝する”という旅の目的がひとつ達成された。
計画段階では母の足のこともあり回り切れるか心配だったのだが、タクシーなどの助けを借りつつも、なんとか無事に三社すべてにお参りできたことを嬉しく思う。
飛瀧神社・那智の滝
境内を出ると、少しづつではあるがもやが晴れてきている。
先ほどは望めなかった三重塔と、その背後にそびえる滝の姿もうっすらと確認できた。
水墨画の絵画のような絶景である。
ここからは再び車に乗って、もう少し近くから滝を眺めに行く。
ものの数分で、那智大社の別宮である飛瀧(ひろう)神社まで到着。
鳥居をくぐって少し進むと、すぐに滝へと降りる階段が始まる。
こちら結構段数もあったので、母には車に残ってもらい自分だけ下りることにした。
階段を下っていくと、木々の向こう側に岩壁に流れ落ちる雄々しい瀑布の姿が見えてきた。
ここからでもすごい迫力だ。
ここでは滝そのものがご神体であるため、境内には社殿が存在していない。
古来より自然信仰が根付く熊野ならではの、珍しい形態の神社である。
水の量は時期によって大きく変化するようだが、この時は朝の大雨の影響で凄まじい水量になっていた。鳥居の前に立っているだけで、すさまじい轟音と水しぶきが否応なしに全身に感じられる。
滝の上部では相変わらず霧とも雲ともつかない、白いもやが立ちこめている。
空と滝の境界が曖昧になって、まるで天から滝が降り注いでいるような神々しさであった。
しばらく滝を眺めていたのだが、時計を見ると意外と時間も押してきている。
急ぎ足で階段を駆け上り、そのまま車に乗りこんで勝浦駅へ。
タクシー乗り場にてお世話になった運転手さんに謝意を告げ、無事に那智山観光も終了である。
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初の利用となった駅から観タクんだが、料金もリーズナブルで利便性も高いので、今後他の場所へ家族で旅行する際も検討に値するサービスだと思った。
今回は(ある意味で)天候も味方してくれて想像以上の景色を楽しめたし、個人的には大満足の那智山観光だったと言える。
まあ強いて言えば母と一緒に古道を歩けなかったのは心残りだが、やはりこれは結局何であってもやれる内にやっておくべき、という話に帰結するのだろう。
有限である資金と体力、そして時間をうまく振り分けて、今後も色々な場所をなるべく後回しせずに訪れたいものである。
それでは。